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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1432号 判決

控訴人

医療法人財団圭友会

右代表者理事

小原準三

右訴訟代理人

小屋敏一

外二名

被控訴人

小林茂

被控訴人

小林カツ

右二名訴訟代理人

清野惇

外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人らは昭和四五年九月九日に死亡した小林一三(昭和三四年一〇月一四日生)の父母であり、その相続人であること、控訴人は昭和四五年以前から東京都中野区本町三丁目二八番一六号において、外科、内科、整形外科等を診療科目とする小原病院を開設し、医師竹内惟義(副院長兼外科医長)同多田振西こと多田泰裕(外科医)、看護婦市川京子こと橋本京子、同宮下千代らを使用して、同病院を経営する者であること、一三は昭和四五年九月八日かかりつけの医師栄敏孝の診察を受けたところ、虫垂炎の疑いがあると診断されたので、同医師の紹介により、同日控訴人経営の小原病院に入院したこと、そして一三は同月九日午前中に控訴人の代表者である院長小原洋三及び竹内医師の診察を受けたところ、虫垂炎にかかつていると診断されたので、被控訴人らは直ちに自らも契約当事者となるとともに、一三の法定代理人としての資格をも兼ね控訴人との間で、一三の虫垂摘出手術及びその術前、術中、術後における適切かつ完全な医療の施行を内容とする医療契約を締結したこと、控訴人は右契約に基づき、同日午後二時過ぎころから、竹内医師及び多田医師らの担当により、一三に対しまず腰椎麻酔を施した上、虫垂摘出手術を行つたこと、一三は右手術後同日午後五時二〇分ころまでの間に死亡するに至つたことは、当事者間に争いがない。

二ところで、〈証拠〉によると、一三の死体についての解剖所見及び組織学的所見として血液の流動性、諸臓器における溢血及びうつ血、高度の肺水腫、脾臓における好酸球の滲出等シヨツクで死亡した死体にしばしばみられる顕著な所見がみられ、その他には死因となるような所見がみられないこと、鑑定人は一三の死因を腰椎麻酔を含む本件手術後のシヨツクであると推定していることが認められ、右認定を動かすべき証拠はない。

三被控訴人らは、一三の右死亡は小原病院における手術及びその術前、術中、術後の医療措置が不適切であり、不完全であることによるものであると主張し、控訴人は一三が胸腺リンパ体質という先天性特異体質を有することに基づくものであつて、一三の死亡は不可抗力によるものであると抗争する。

よつて案ずるに、〈証拠〉をあわせると、患者に腰椎麻酔を施した場合、これに伴う危険な偶発症として呼吸麻痺と血圧下降ないし心停止とが生ずることがあり、それらのシヨツクにより死亡事故が起りうるため、医学界においては、腰椎麻酔に伴うこのような偶発症ないしシヨツクの予防措置と治療とに関する種々の医療方法が研究、実施され、その結果現在においては、腰椎麻酔に伴うシヨツク死は、麻酔の管理を十分に行えば回避することができるものであつて、もし麻酔によるシヨツク死が起きたとすれば、それは術前、術中、術後における患者に対する医療措置に不適切、不完全な点があつたことが、主要な原因であるとされていることが認められる。

四ところが一方、前掲乙第一号証によると、一三は死亡当時、胸腺の重さが七五グラムあつて、極めて、著しく肥大するとともに、舌根部及び小腸下部粘膜のリンパ装置の発育が極めて可良であつて、先天性特異体質といわれる胸腺リンパ体質を有していたことが認められるところ、〈証拠〉に弁論の全趣旨をあわせると、これを否定する見解もあるけれども、従来胸腺リンパ体質を有する者は一般に刺激に対する抵抗が弱く、僅かな外的刺激によつてはもとより、精神的、内的刺激によつてもシヨツクを起し、胸腺死と呼ばれる不慮の死を招き易いといわれ、日本法医学会が昭和三九年中調査したところによると、シヨツク死ないし異常反応死例一九四例中一一六例に胸腺リンパ体質ないし同傾向のものが存在することが認められるので、このことからすると、胸腺リンパ体質と死亡との間に有因的な関係があることも否定し難い。

五そうすると、一三の死亡は小原医院における術前、術中、術後の医療措置が不適切ないし不完全であつたがために起きたか、同人が胸腺リンパ体質という先天的特異体質を有したがために起きたかのいずれかが考えられる。そこで進んで、小原病院における腰椎麻酔を含む本件手術及び術前、術中、術後の医療措置に不適切、不完全な点があつたか否かを、被控訴人らの主張するところに従つて逐次検討することにする。

(一)  被控訴人らはまず、麻酔及び手術の安全性を増進するためには、麻酔前に前投薬を使用する必要があり、特に患者が小児であり、喘息等の既往症がある場合には不可欠であつたにかかわらず、本件手術前には前投薬が使用されなかつたと主張し、〈証拠〉中には、右主張に副う記載ないし供述がある。

そして一三が本件手術当時一〇歳一〇か月の小児であつたことは当事者間に争いがなく、また〈証拠〉によれば、一三は気管支喘息の既往症を有していたが、被控訴人小林カツは昭和四五年九月八日一三を小原病院に入院させた際、このことを同病院の当直医に告知したことが認められる。

しかし〈証拠〉によれば、全身麻酔であると腰椎麻酔であるとを問わず、前投薬の使用が必要であるとする見解がある反面、短時間で終る小手術の場合には、必ずしも前投薬を必要としないとする見解もあること、一三は右のような既往症があつたけれども、ここ二、三年喘息発作を起したことはないということであつたこと、多田医師は同人がそれまで取扱つた三〇〇例の患者中同様の既往症のある患者に対しても、大手術でない限り、前投薬を使用したことはなかつたこと、そこで同医師は一三に対しても前投薬の必要がないものと判断しこれを投与しなかつたことが認められる。そうすると、この点に関する同医師の医療措置に不適切、不完全な点があつたとすることはできない。

(二)  次に被控訴人らは、麻酔剤注入の際の穿刺の部位を問題にするので検討する。〈証拠〉によると、一三に対する麻酔は、麻酔剤の注入前にリンゲル糖液五〇〇CCを点滴した後、ネオペルカミンS1.3CCを用いたが、これは体重一〇キログラムに対する使用量0.3ないし0.4CCを基準として算出した通常の使用量であるところ、その穿刺の部位は、第一腰椎と第二腰椎との間であつたことが認められ、前掲〈証拠〉中、多田医師は一三の右下側臥位で背中を屈曲させ、第二腰椎と第三腰椎の棘突起を確認し、その棘突起間が穿刺に最もよい状態であると考えられる時点において、右手指で皮膚を尾側に引張り、皮膚を緊張固定させ、第二腰椎と第三腰椎との間に穿刺したという趣旨の部分は〈証拠〉と対比し措信しない。

ところで〈証拠によ〉ると、麻酔剤注入の際は穿刺による脊髄の損傷を避けるため一〇歳未満の小児の場合には第四腰椎と第五腰椎との間を、一〇歳以上の場合でも第三腰椎以下を選ぶのが相当であり、それ以上の高位穿刺は脊髄損傷の危険があるといわれ、穿刺の部位が高いと麻酔剤が高い部位まで作用し、心臓を支配する交感神経を遮断し、呼吸抑制及び血圧下降を来すおそれがあること、しかし麻痺が高い部位まで及ぶのは、穿刺の部位の関係だけではなく、麻酔剤の量、比重、濃度、注入の速度、注入時及び注入後の患者の体位等がその因子であるといわれていることが認められる。

そうすると、一三に対する麻酔剤注入の部位は、一応高位であつたといえるとしても、〈証拠〉によると、穿刺の際脊髄を損傷すると、足の方にかなり強い痛みの放散痛があつたり、足が一瞬けいれんするものであるが、一三にはそのような現象がみられなかつたから、同人には穿刺による脊髄の損傷はなかつたこと、本件麻酔に使用したネオペルカミンSは前述のごとく通常の使用量であること、そしてこの麻酔は脊髄液より比重が高く、従つて脊髄に注入されると下の方に沈み、それだけ呼吸困難を来すおそれが少いこと、多田医師は一三を右下側臥位で背中を屈曲させ穿刺針の先端の切口を一三の左手に向け穿刺し、穿刺がスムーズにいつたので、内套針を外して髄液が出るか否かを確認したところ、髄液が出たので内套針をもう一度もとに戻し、今度は針を九〇度にしてその切口を一三の尾側に向け、麻酔剤がなるべく下の方に行くようにした上、麻酔剤を麻酔針に連結してこれを二〇〜三〇秒の間徐々に注入したこと、麻酔剤を徐々に注入したのは、麻酔剤を急速に注入すると、それが髄液と混合し、麻酔の効果が上らず、しかも力を加えて押すとかなりの範囲に麻酔剤が及ぶので、徐々に注入して麻酔剤が近くに止まるようにしたためであること、多田医師は右注入後一三の頭に枕をあてて仰向けにさせ、その下腹部の腹壁を針で刺してみて、麻酔がへそのところまで来ていることを確認し、それから一三の頭の方の手術台をやや高めにして麻酔剤がそれ以上に及ばないようにして麻酔の効果を固定したこと、以上の過程は多田医師がそれまで取扱つた三〇〇例に及ぶ事例と相違するところがなかつたこと、一三は手術中盲腸を引張られた際、苦しいといつて上腹部の不快感を訴えているが、このことは麻酔が高い部位まで及んでいないことを示していることが認められ、右と異なる証拠は措信しない。

そうすると、一三に対する麻酔は注入の穿刺部位こそ一応高位であつたといえるとしても、麻痺は高い部位にまで及んでいなかつたものといわなければならない。

(三)  被控訴人らは、手術中の神経反射は血圧下降や呼吸障害の原因となる場合があるから、このような神経反射を予防しまた軽減するためには、手術中に腸間膜に浸潤麻酔を行い、神経ブロツクをすべきであつたにかかわらず、本件手術にあたつては、そのような措置をとらず、単に鼻腔カテーテルによる酸素吸入が行われたに過ぎない旨主張する。

なるほど本件手術にあたり、鼻腔カテーテルによる酸素吸入は行われたが、腸間膜に浸潤麻酔を行い、神経ブロツクをする等の措置がとられなかつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉をあわせると、一三は手術中盲腸を引張られた際、その神経反射で、苦しいといつて、上腹部の不快感を訴えたこと、しかしこれは盲腸を引張られた場合どの患者にもみられる現象であつて、その結紮が終れば自然とおさまるものであること、竹内医師及び多田医師は一三が右のように上腹部の不快感を訴えた際、鼻腔カテーテルによる酸素吸入を行つたとこは一三の右状態は二分位でおさまつたこと、虫垂の摘出は極めて順調にかつ短時間のうちに行われたこと、浸潤麻酔は手術が短時間で終る場合や腰椎麻酔がきいている場合には、殆んど行われないことが認められる。そうすると、本件手術中における一三の神経反射を予防または軽減するための措置に不完全な点はなかつたというべきである。

(四)  〈証拠〉によると、手術中の患者の血圧及び脈膊の管理は極めて重要であつて、血圧下降、呼吸抑制がみられる場合には、直ちにこれに対する医療措置を施す必要があることが認められるところ、一三に対する血圧の測定が麻酔開始前の午後一時五五分(一一四―七〇)、麻酔開始二分後の午後二時一六分(一〇四―九〇)、同六分後の午後二時二〇分(一一〇―八〇)及び執刀開始後の午後二時二九分(九二―五〇)の合計四回行われたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右四回の測定は麻酔記録に記載されていることが認められる。ところが〈証拠〉によると、麻酔記録に記載こそないが、右の四回以外にも、手術中はもとより術前術後においても、逐次血圧及び脈搏数の測定が行われたことが認められ、右と異なる証拠は措信しない。そうすると、一三に対する血圧及び脈搏数の測定が不十分であつたとすることはできない。

(五)  さらに被控訴人らは、一三に対する手術後手術室退室までの安全確認が不十分であつたと主張する。

〈証拠〉によると、多田医師は本件手術終了後一三に対し種々質問して意識の障害の有無を確めたところ、一三は上腹部が多少苦しいと答え、格別意識の障害がなかつたこと、麻酔が高い部位に及ぶと呼吸抑制がみられるものであるから、多田医師は一三のへそと乳頭の中間あたりをつねつてみて、痛覚のあることを確かめた上、一三に深呼吸させたところ、同人は深呼吸ができ、麻酔が高い部位に及んでいないことが確認されたこと、そして血圧と脈搏を調べたところ、いずれも異常がなかつたこと、なお手術中午後二時二九分に測定した血圧は九二―五〇であつたが、これは麻酔開始前午後一時五五分に測定した血圧が一一四―七〇であつたことと対比し、その間にさほどの格差はなく、血圧が著しく下降の傾向を示すものとはいえないこと、その外一三には竹内医師及び多田医師がそれまで取扱つた患者の場合と比べ、特別変つたところが認められなかつたので、同医師らは手術終了後三分にして手術室から退室させたことが認められ、右と異なる〈証拠〉は措信せず、他に右認定を左右する証拠はない。

次に手術終了後、一三に対する酸素吸入を中止し、これを継続して行わなかつたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、酸素吸入は一三が盲腸を引張られて上腹部の不快感を訴えたので成人の場合には通常使用しないけれども、一三は小児であるため、その気持を落着かせる意味で行つたものであつて、格別一三に呼吸困難がみられたためのものではないこと、従つて酸素吸入を中止したことにより、一三に特別の影響はみられなかつたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。そうすると、酸素吸入を右のように中止したからといつて、安全確認上慎重を欠いたものということはできない。

(六)  被控訴人らは、手術後一三を手術室から病室まで搬送した宮下看護婦の搬送中の措置につき不適切な点があつたという。本件手術後、宮下看護婦は一三を手術台からストレツチヤーに移し、手術室から病室まで搬送したこと、そして一三が搬送中腕を動かそうとしたので、手術前から同人の右腕に刺してあつた点滴針を受り外したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、一三は右搬送中、エレベーター付近で、苦しい、声が出ないと訴えたこと、しかるに宮下看護婦は何ら医師の指示を求めることなく、そのまま一三を病室に搬送したことが認められる。

ところで〈証拠〉によると、宮下看護婦は右の場合速やかに一三を救急器具装置の容易に使用できる手術室に戻し、医師の指示を受けるべきであつたというのであり、また〈証拠によ〉ると、腰椎麻酔の場合には、その全過程を通じ点滴により静脈を確保しておくことが、極めて重要な循還対築であることが認められるけれども、〈証拠〉によると、一三に対する点滴は手術中継続して行われていたが、宮下看護婦は一三が搬送中体を動かしたために生じた内出血及び点滴液の漏れで腕がはれたので、その拡大を防ぐための措置として、これを取り外したものであること、同看護婦は一三を病室に移しその体が安定したら再び点滴を行うつもりであつたこと、そして同看護婦は、一三の苦しい、声が出ないという前記状態を、同人の長い間の看護経験に徴し、麻酔のため通常起きるものであり、同看護婦がそれまで取扱つた患者の場合に比べ、特別変つたものではないと判断したこと、そのため一三を手術室に戻すことなく、また医師の指示を求めることなく、そのまま病室に搬送したものであることが認められる。そうすると、必ずしも同看護婦の搬送中の措置に適切を欠く点があつたとはいえない。

(七)  一三に対する救急措置としてとられた薬剤の使用が、必ずしも不適切であつたといえないことは、原判決の判示するとおりであるが、被控訴人らはさらに、一三を病室に搬送した後における同人に対する呼吸蘇生ないし循環蘇生のための措置が適切でなかつたと主張する。

一三が手術室から病室に搬送され、ベツトに移された後間もなく、呼吸停止及び心停止に近い状態に陥り、これに対し宮下看護婦らが胸壁外人工呼吸を行う等の応急措置を講じたけれども、その効なく一三が死亡するに至つたことは、原判決の詳細に判示するとおりである。〈中略〉

ところで、〈証拠によ〉ると、麻酔シヨツクは麻酔剤注入直後から一〇分以内に起きる事例が圧倒的に多く、麻酔剤注入後遅くとも一五分以内に起きるものであること、本件の場合、腰椎麻酔がなされたのが午後二時一四分であり、手術開始が二時二〇分であり、手術終了が二時三七分であり、一三が手術室から退室したのが二時四〇分であること、そうすると麻酔剤の注入後一三が手術室を退室するまでに二六分、手術開始からでも既に二〇分が経過しているわけであるが、その間一三には何らシヨツクの症状がみられなかつたこと、宮下看護婦は一三をベツトに移した後、酸素吸入の準備をしていたところ(手術終了後約一〇分経過)、突然一三ののどから「ガ、ガ」という音がして、同人の呼吸が止まりそうになつたこと、そこで同看護婦は家政婦に対し医師に連絡するよう依頼するとともに、一三に対し人工呼吸を行つたところ、一三は二、三回深呼吸のようなことをして、その後呼吸がと絶えたこと、一三の右の「ガ・ガ」という状態は声ではなく、断末魔の終末呼吸の状態であつて、この段階に至り応急措置を行つても殆んど効果がないことが認められ、右と異なる証拠は措信しない。

そうすると、その後一三に対し講ぜられた呼吸蘇生ないし循環蘇生のための措置の適否を論ずる余地はないものというべきである。

六右認定事実によると、竹内医師及び多田医師は腰椎麻酔の場合に起りうる血圧下降、呼吸障害及び心停止等に対処できる措置を講じた上で、本件手術を行つたのであり、右手術は順調かつ短時間のうちに終了したこと、多田医師は手術終了後一三をストレツチヤーに移す直前、そのへそ付近の知覚及び呼吸状態を確かめ、これらに何らの異状がなかつたので、一三をストレツチヤーに移し、しかる後病室に搬送中、エレベーター付近においてその呼吸に異状を来たし、病室のベツトに移した後、突如一三は呼吸停止のシヨツク状態を呈したこと、多田医師らは虫垂炎の手術については十分な経験を有し、本件手術も平常どおりに行われたものであること、一三の死亡はこれを麻酔剤シヨツクを含む麻酔シヨツクと考えるには時間的矛盾があること、一三は胸腺リンパ体質という先天的特異体質を有していたこと、そして胸腺リンパ体質と急死との間に有因的な関係が存在することが認められるところ、これらを総合考察すると、一三の死亡は同人が胸腺リンパ体質という先天的特異体質を有していたがために起きたものであつて、小原病院における腰椎麻酔を含む本件手術及びその術前、術中、術後の医療措置が不適切ないし不完全であつたがために起きたものではないというべく、そして〈証拠〉によれば、患者が胸腺リンパ体質を有するか否かは、その身体を診察してもこれを知るに由なく、右体質に基づく急死を防止するための医療措置は、現在のところないのがその実状であることが認められる。

七そうすると、一三の死亡は不可抗力によるものであり、従つて控訴人には本件医療契約の不完全履行による損害賠償責任はなく、また使用者責任もないので、被控訴人らの主位的及び予備的請求はいずれも理由がない。〈後略〉

(渡辺一雄 田畑常彦 丹野益男)

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